工作

そもそも、工作とは何なのかを少し考えてみたい。工作とは、簡単に言えば「嘘」である。
これは、レビュー内容および点数がはたして「虚偽」に当たるかどうかが焦点となる。
「虚偽」と言うからには真があるわけで、何をもって真とし、それに対して虚偽と定めるのかがポイントと思われる。
では、具体的に工作と呼ばれるものを構成するのは何だろう。思うに、以下の2つの組み合わせによるのではないだろうか。

一つは、「内心と違う評価をしたかどうか」。二つめは、「外聞と相反する評価かどうか」。

前者は、作品をプレイした際に感じた内容と逆のことを外に発すること、要するに、つまらないと思ったのに面白いと言う(或いはその逆)事を指す。
後者は、形成された世間一般の評価と全く正反対の評価を外に発すること、要するに、100点(或いは0点)という様に極端なものを指す。
 
そして組み合わせは4つある。
 
①内心と同じ評価を外に発し、かつ、世間一般の評価と同じ結果となる場合
②内心と同じ評価を外に発し、かつ、それが世間一般の評価と異なる場合
③内心と違う評価を外に発し、かつ、世間一般の評価と同じ結果となる場合
④内心と違う評価を外に発し、かつ、それが世間一般の評価と異なる場合
 
(世間一般の評価が形成されるまえの事前工作も可能性としては考えられるが、それが果たしてどこまで影響があるのか疑問なのでここでは置いておく)
 
①の場合は別に工作でも何でもないじゃないかと思われるかもしれないが、いわゆる「お手盛り」のケースが考えられる。名実共に名作だと言われるものでも
何かしらの欠点はあるわけで、それを看過して配点をするのは、部分的とはいえ作為的な工作と言える場合は考えられる。しかし、このケースにおいては
工作は、さほど問題とはならない。大多数が似たような評価なのだから摩擦が生じる可能性は低いからだ。これは駄作の場合でも同じことが言えるだろう。
度が過ぎれば「信者票」として問題となる場合もあるので一概には言えないかもしれないが、そのように感じたのが「内心」から生じた正直な評価だと言われれば
そうかと頷くしかない。
 
③の場合、特に言う事は無い。というのは、自分に嘘をついてまで、おもしろくない作品だと感じたのに皆と足並みを揃えて『ふつうに面白い。90点』とするのは
そもそもレビュアーとして終わっている。またその逆で、おもしろい作品だと感じたのに皆が駄作だと言ってるので『個人的には良作。40点』とか
意味が分からないだろう。これも本人の資質はさておき、工作云々の摩擦は生じにくいので保留しておく。
 
④はあまり考えられない。ただ仮にこんな事をする人がいるのであれば、それは最も悪質と言っていいだろう。
ここまでくると内心が何であれ世間一般の評価を覆したい何らかの思惑でもあるのかと邪推してしまう。
ただの荒らし、悪ふざけするような人がこれにあたると思われる。そういう意味では一番、いわゆる工作としての側面が大きい。
 
②の場合に摩擦は生じる。これはレビュアー側、世間一般と認知される多数派側、どちらがどちらに対して工作と主張するかにもよるのだが、
常識的に考えて『工作だ!』と主張する側が、その工作の証拠を立証しなければならない。だがそんなもの挙げられるはずもなく、
水掛け論や単なる言いがかりとしてうやむやになるだけである。レビュアーの真意は第三者には分からない。
 
問題なのは②と④の区別が、レビュアーの主観のみによっているという点だ。
レビューの種類は、
点数およびギブアップ
点数のみ
点数と一言感想のみ
点数と一言感想および長文感想
点数無し及び一言感想
点数無し及び長文感想
点数無し及びギブアップ、
に分かれる。
 
三者側にはレビュアーが工作について悪意なのかどうか真意を知るよしも無いわけだから、結局のところ上記のような外形から推測することができるにすぎない。
そしてレビュアー側は、自身が工作の意図など無く真に内心から生じた感想であることを第三者に伝える義務など無い。
ではどうして、工作だと根拠も無く断定してかかる輩がどう考えても勝つ見込みが無いにもかかわらず後を絶たないのか。
それは②と④の区別が曖昧だからだ。要するに、「黒ではないが白でもない、グレー色」に貶めることが簡単にできる。④との区別が曖昧だから。
 
上記で述べたレビューの種類において、上に行くほど④との客観的区別がつきにくく、下に行くほど④との客観的区別がつきやすくなる。
例えば、点数だけのしかも単発ユーザーだったりすると、客観的に判断しようがないから、また「判断する必要もなく」工作だとレッテルを貼れば
それだけでグレー色に染めることができる。それだけで簡単にそのレビューの価値を揺らがせることができる。根拠も何も無いので、
それはそういう「雰囲気」が出来上がるだけなのだが、それだけでも十分な効果はある。
 
今回のOYOYO氏に対する工作のレッテル貼りは、明らかに無理があった。それは客観的に見て④と区別できにくいような内容のレビューではなかったからだ。
しかしレッテル貼りは行われた。何故か。レビュー内容がネタバレを避けるために曖昧な表現で書かれていたためと思われる。ちゃんと読めば分かることだし、
また同氏のツィートを見れば、それが真に内心から生じた素直な感想であることは直ぐに分かることだ。つまり、その程度の流し読みで勝手に工作レッテルを貼り、
自分の精神衛生を保ちたいがために他者を攻撃しただけなのだろう。それがどれほど卑怯なことか。
 
というか、そもそも発売されて間もなく世間の評価が固まってもいない段階で工作とレッテル貼ること自体が既におかしい。